西永和輝 個展「巣食ウ装飾」

 

2022年 12月13日 – 18日

Gallery 美の舎(東京都台東区谷中1-3-3 カサセレナ101)

企画:原田雄(SYP GALLERY)

 

 

巣食論――彫刻と装飾をめぐるいくつかの話


 いま、あらためて装飾について考える必要があると感じるのは、私たちの生活から乖離した近代的な芸術のありかたの無理が祟っているからだろうか。芸術が純粋なものであるために、ともすれば「本質的でないもの」あるいは「装飾的なもの」は排除されがちだったが、今日でも作品を設置することを「飾る」とも言うように、暮らしのなかの作品は他ならぬ装飾であるとも言える。作品の「内的な」本質としての「エルゴン」に対して、その「外」にある「付随的なもの」ないし「装飾的なもの」を意味する「パレルゴン」という概念により、そもそも「内」とか「外」とかいう区別を問い直そうとする脱構築的な議論が行われ、作品「それ自体」よりも、むしろ作品を成立させる「枠組」について意識されるようになったが、そういう問題ではない。

 絵画における額縁が、その文字どおり周縁的であるのに対し、彫刻における台座は、文字どおり、それを支持するものであるからというわけではないが、彫刻から装飾について考えることは、絵画から装飾について考えることとは違う。この国における彫刻は、もともと装飾と結びついていた。いわゆる殖産興業の一環で内国勧業博覧会が開催されたとき、「彫刻」は――表面を彫ったり刻んだりするという字義どおり――装飾的なものとして、立体造形を指す「彫像」と区別されていたし、あるいは、高村光太郎が鯰の木彫作品を父の高村光雲に見せたとき「貝殻を彫つて添えると面白い置物になる」とアドバイスされて呆れたというエピソードは、近代的な芸術の概念とは別に装飾的な彫刻の基準が存在していたことを端的に物語っている。

 西永和輝は、ひとつの論理のように、人がつくり出したものでありながら人の手を離れて独りでに機能する、ある種、自律的なものとして装飾を捉えている。そもそも装飾というものが、地域や時代、宗教などによらず普遍的に⾏われてきた営為である⼀⽅、過度に発達して不合理なものになっていく傾向に着目した。規格化されたフレームに彫刻的な細工がまとわりついたような作品は、合理的なモダニズムと前近代的な「添え物」のせめぎ合いのようであるのと同時に、人間と自然の交渉のようにも見える。そういう意味では、装飾としての彫刻――あるいは装飾「それ自体」――を、さまざまな生物がつくる「巣」の奇怪な造形になぞらえることができるように思われる。音読みすれば同じだからというわけではないが、装飾は私たちの生活にっているのかもしれない。

 

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秋山真樹子さんによるレビュー ⧉