三木麻郁 個展「sink-sign-sing 深く沈んだ信号が、私に詩を奏でている」(22:00画廊)展評

 三木麻郁の代名詞になるだろうオルゴール作品は、独自のルールに従い、和音を「五十音」に対応させることで、テキストを音楽に変換したものである。和音は等間隔に奏でられるが、独立した「音」の連続は、もとの文章がもっていた意味を失い、旋律として聴こえる。それは、ちょうど星と星とを結んで星座をつくるようである。「オルゴール読書夜会」と題されたパフォーマンスでは、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』と、三島由紀夫の『憂国』を「スコア」として演奏された。2つは単に文字列が異なるために、メロディの印象は大きく異なったが、前者は、童話さながら、想像力をかき立てるような詩的な印象を与えたのに対し、凄惨な切腹のシーンを描いた後者は、やはり情景と同調するかのように、短調的に響いた。言葉と対応したオルゴールの音色が、純粋な音楽として聴かれることにより、私たちは、自らが「白紙」の状態に置かれていることを自覚すると同時に、偶然、あるいは恣意的とも言える印象の一致に驚かされる。三木の作品は、私たちの経験主義的な、あるいは素朴な信念が認めようとしない、未分化の世界に対するア・プリオリな表象を前提しているように思われるのである。

 記号と、それに付与された意味との連関を解体するような作業は、本に印刷されたすべての文字を指でこすり取る「音採集」シリーズにも見られる。それらの作品に対し、いくらかの既視感を禁じ得ないのは、剥き出しの「オブジェ」として記号を現前させる作品が、これまで数多の美術家たちによって試みられてきたからだろう。三木の制作を、それらと類似する、ある種の構造主義的な趣味の作品に列することは易しい。しかし、彼女は、多くの美術家とは異なる方法で、物それ自体をまなざしているのではないだろうか。

 三木の作品は、いわば印象主義の絵画のようである。数式に取材した「mathematics」シリーズや、街角にあふれる様々な☆マークを収集した《遠い星を数えて》など、いずれのモチーフにおいても、とめどない無数の記号に対して、作家の「眼」を通して得られた印象が作品を貫通している。そこに表れているのは、個人的な「手」の感覚だけでなく、イメージの「宇宙」に対する表象の全体像を捉えた「アトラス」を描こうとする「ストローク」である。彼女の関心は、形而上に横たわる、抽象的で、本質的な真理を求めることではなく、むしろ、それに対する私たち人類のもつ表象に向けられているのだろう。その総体に質量を与えることこそが、この展示における三木の仕事であったと考えられる。

 

 

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三木麻郁 個展「sink-sign-sing 深く沈んだ信号が、私に詩を奏でている」
22:00画廊
2013年11月17日-12月18日
http://2200gallery.com/20131117mikimaaya.html
https://maayamiki.jimdo.com/works/2013/個展-sink-sign-sing-深く沈んだ信号が-私に詩を奏でている/