キュレーションと禁欲主義――原田裕規の個展に寄せて

 結論を先に言うと、とても「退屈」だった。先日、土屋誠一による「反戦展」について、「退屈」をこそ提供するための「禁欲的」な手法であると述べたが、「キュレーションしない」ことが、斯くも「作品」を見ることの難しい空間を生み出してしまうのは如何――。まったく手持無沙汰なのである。これまた「畳の目を読む」こと以外に、すべきことが無い。

 まずは、すべての「作品」にナンバリングがされた「表 table」を分析した。「URL_1」とは、通し番号だろう。611番まで振られ、これが「約150点」の出品作と「約450点」の「ほか」の合計に相当する。「URL_2」というのは、一種のグループだろうが、どのような分類なのかは管見の限り分からなかった。ほぼ「登録年月日」と一致しており、「2014.08.25」に登録されたものが「1」、「2014.09.17」のものが「2」という具合であるが、「4」と「5」は、いずれも「2014.09.23」である。この2つを区別するのは、あるいは「入力担当者」だろうか。「URL_2」が1-3, 5, 8-10のものは「原田裕規」となっているが、4, 6~7は「本郷かおる」で、境界と一致している。

 以上の情報は、ほとんど鑑賞の役に立たないが、私たちにとって「更新年月日」というデータが重要かもしれない。「URL_1」が1-605(「URL_2」が1-9)のものは「2014.11.03」で、606-611(「URL_2」が「10」)の「作品」だけが「2014.11.18」である。あて推量するに、当初は作品数が605点の予定だったのではないだろうか。そして、原田によって3つのパネルに配われた「作品」は、その605点のなかから採られたに違いない。確かに第10グループの「作品」は、どのパネルにも使用されていない(第9グループのものも使われていないようだが)。このことから分かるのは、パネルの「設計図」は11月18日より前の時点で、一応、完成されていたということである。

 3つのパネルは、それぞれ「165.9×190.07」「169×190.07」「154×190.07」という規格であり、縦はすべて斉しいが、横幅は微妙に異なる。これは所与の条件だろうから、「作品」が、結局、どのパネルに属するかを決定する1つの要因になったかもしれない。しかし、なぜ縦は100分の1の位まで測定されたのに、横幅の表示は大雑把なのだろうか。今回の展示では「作品」の「大きさ」がキーワードの1つであるから、そこに有為な差を認めないのは「片手落ち」と断ぜざるを得ない。

 次に「作品」とキャプションとを対応させた「図 chart」を見た。これが実際のパネルとのあいだに異同があり、また「表」とも合致していない箇所がある。たとえばAのパネルにおいて、第123番(2-75番)が、「表」には登録されているが「図」には載っておらず、第206番(3-54番)が、逆に、「図」には描かれているが「表」には記載されていない、という具合である。あるいは、Aのパネルについて、「表」では44点(というのは「URL_3」の最大値)であるが「図」では50点が確認される。Bのパネルも、「表」では52点だが「図」では54点と作品数が異なる。いずれにせよ「図」の方が多いのである。

 「URL_3」というデータは、そのパネルにおけるナンバリングであり、おおよそ左上ほど若く右下ほど増す。A, Bのパネルの「表」は、「URL_1」の昇順にデータが並ぶが、「C」では「URL_3」に従って整理されていた。このことから知られるのは、それぞれのパネルを制作した際、原田の意識に変化があったということである。つまり「A」「B」と「C」とでは主述関係が逆転しているのである。このことが、やはり原田の制作したパネルが、枠の与えられた「パズル」であるという位相を強める。「URL_3」の値と対応した特定の場所に相応しい「ピース」を探す作業の方が合理的だからである。それ故に「A」「B」において「設計図」と実際のパネルとで異同があったことも頷ける(ちなみに、きちんと確認できていないが、絶妙に余白を埋めるマトリョーシカ作品は海老沢一仁によるものだろう。319番の「URL_2」値(3-317)が欠番であるが、何故だろうか)。

 「表」と「図」のどちらが先に作成されたかは分からないが、構想に従って配置したとき、前者が先立つならば、存外に余白が残ってしまい、いくつかの「作品」を足したのだろう。あるいは後者が先立つならば、ある「作品」が不要になったのだろう。筆者は閉廊時刻の間際に参じてしまい(とはいえ、時間を過ぎても居座ってしまったが)、急いで管見したため、肝心のパネルとの対応を調査できなかったことが間抜けであるが、おおよそ以上の解釈で間違いない。

 ところで、中島 智(芸術人類学者)が「ヴァールブルクの《ムネモシュネ・アトラス》を彷彿させる展示」という指摘をしているが、原田の展示を「ムネモシュネ・アトラス」と対比することは的外れであると言わざるを得ない。筆者も図表を見て、その親近性を否定はしないが、もし見ためだけを似せて、それを参照しようというのなら、あまりにも姑息な手つきである。

 筆者は(ちょうど2年前に駒場で開催された)「ムネモシュネ・アトラス展」に際し、再現パネルの製作に参加したので、これについて幾らかの知識をもっているつもりだが、「ムネモシュネ・アトラス」は、どのパネルにもテーマがあり、さらに、いくつかのパネルの集まりが、大きな主題を有しているのである。また、それぞれの図版のあいだに連関があり、あるいは「動線」が存在すると言える。つまり、「ムネモシュネ・アトラス」とは、それ自体が「イメージ」という「宇宙」をめぐる「地図 atlas」であり、私たちとのあいだに、その構成を分析するアフォーダンスが存在しているのである。

 一方で、原田の展示は「1. キュレーションしてはならない。2. 編集してはならない。3. 選んではならない」という表明によって、キュレーターとかギャラリストといった人びとの仕事を戯画的に具現化したに過ぎない。つまり、「作品」のアレンジは、その物理的な条件である規格のみに従って決定されているが、それは「キュレーション」「編集」「選ぶ」という思考的な営為の余地を失くし、運動だけを取り出したモンタージュに違いない。ここでは、もはや図表のみを読解することが十分条件であり、「作品」は、すべてプロフィール化されている。ただ余白だけが、その非決定論的な相貌をチラつかせるのみで、原田の制作したパネルは「テクスト」と呼べるものではない――。

 斯様なものをおもしろがるひとにとっては「箸が転んでもおかしい」のだろうと揶揄することは易しいが、筆者は、むしろ、この業界に蔓延している「退屈」であるということを頑なに認めようとしない神経症をこそ懸念する。「ものが語る」というディスクールを拒否しつつ、私たちと「作品」とのあいだのアフォーダンスも否定されている――このように敢えて「作品」を見ることを難しくするのは、もはや「テクスト」に対する「エロース」の否定という、異常なまでの「禁欲」に他ならないと言うべきだろう。

 さて、「ムネモシュネ・アトラス」における図版は、ヴァールブルクの死によって固定されてしまうが、それまでは絶えず図像と配置が変化していたという。あるいは、原田の3つのパネルは、常に「別様でもあり得た」という可能性を露呈しているため、絶えず変更され得るという点では、「作品」を、完成された、あるいは静的な対象としてではない方法で捉える、テクスト論的な提起をしていると言える。「キュレーションしてはならない、編集してはならない、選んではならない」という要請は、否応なく、キュレーションする可能性、編集する可能性、選ぶ可能性を想起させるため、それをしないことで「起こらなかった出来事」をこそ呈示しているのかもしれない。

 

 

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原田裕規展(lighthouse vol.9)
switch point
2014年12月4日-20日
http://www.switch-point.com/2014/1415harada.html