成長する絵画――内山聡の解析学的まなざし

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 Gallery OUT of PLACE TOKIOにおける個展「working works」(2016年)は、すべて白一色の作品で構成されていた。そこで同時に発表された《π》は、一巻の観光テープを、ちょうど「一周」の長さごとに切りとり、それらを貼り重ねることで――作業をくり返すごとに、切り出されるテープは短くなるので――台形の側面をもつ立体を造形した作品である。一巻の観光テープは「It’s growing up」の単位に他ならず、それをくり返し巻きつけることで、作品が、まさに「成長」するのだが、言うまでもなく――円の面積は半径の2乗に比例するので――作品の直径は、その平方が、使用する観光テープの巻数に比例するから、2次関数の逆関数的にしか増加しない。「成長」のスピードは、次第に遅緩になり、外側の層ほど薄くなるのである。複数の色の観光テープを用いた作品では、連続して同じ色を使用しないルールらしく、異なる色の層が連なっているため、それが一見して明らかだが、白一色の場合、作品の正面は、ただ凹凸を表示するにとどまり、全体として均質な色面を呈している。そのため《π》を通じて「It’s growing up」シリーズの構造を、いわば自己言及的に説明する必要があったのである。

 ただし、《π》が示唆するのは、内径よりも外径のほうが長いという単純な事実よりも、むしろ、内山の制作における理論そのものである。題名に採られた円周率πは、その名が示すとおり、直径に対する円周の長さの比率だが、「It’s growing up」において、テープの長さは、ほとんど問題にならない。プライスリストに記載されていた《π》の規格は、使用済みの観光テープの紙管を含めたインスタレーション全体のものであって、いわば「本体」の大きさとは異なる。ディレクターの鈴木一成氏に測っていただいたのだが、「本体」の規格は、縦 1.8 cm × 横 23.1 cm × 高さ 1.9 cm である。「横」の長さから、ひと巻の観光テープの外径を知ることができ、「高さ」は、その外径と内径との差に相当する。「縦」の長さは、観光テープの幅にあたり、「It’s growing up」の厚さでもあるが、これは重要でない。内山の作品において、むしろ致命的な要素は、テープの全長である。というのも、「It’s growing up」は、あきらかに理論的な「限界」を有しているのであり、その「限界」は、他ならぬテープの全長によって運命づけられているからである。ただし、いまのところ、「It’s growing up」の「完成」は内山によって任意に決断されている。あらかじめ使用する観光テープの巻数を決めているのかもしれないし、梱包や輸送の条件から打ち切られているのかもしれない。ちなみに、今回の個展に出品されていた直径28 cmの作品は、単純計算すると18個か19個――実際には、糊づけの影響や若干のたわみがあるだろうことを考慮すると、おそらく18個――、直径170 cmの大作は、700個弱の観光テープを使用したと考えられる。自重による歪みや、展示会場の規格による制限を考慮せずにすむならば、内山の作品は無限に「成長」することが可能であるように思われる。しかし、円周が――あるいは《π》の「本体」における下底の長さが――ちょうど一巻の観光テープの全長より長くなったとき、作品の構造は破綻を迎えるのである。

 試みに幅が18 mmの観光テープを検索すると、全長31 メートルの商品が多く見られるので、これから推量すれば、約10メートルまでは拡大することができると分かるが、これは現実的でない。実質、「It’s growing up」は「限界」を「知らない」と言って好く、そもそも「限界」を無視してかまわないような素材を選択していたという点で、内山は卓越した先見を有していたと言える。そして、いみじくも内山の作品それ自体からは、どうしても観光テープの全長を知ることができない。無論、重なっているテープをすべて数えれば――《π》は、ちょうど階段状になっているので、それほど困難でもない――その厚さや全長を知ることができるが、それはあまりにも神経症的な分析である。全長が未知であるかぎり、全長に比例するテープの総面積は無限であり、「It’s growing up」は、もともと、その素材が無尽蔵の面積を秘めているのである。ただし、内山の制作においては、あきらかに面積の観念が、それと異なる位相に移植されている。すなわち、作品の大きさにかかわっている面積は、内蔵されたテープ本来の「表面」ではなく、むしろ私たちの目に対して露出していた、計測可能な円形の側面に由来するのであり、一巻の観光テープは、全長が何メートルであれ――あるいは、厚さが何ミリであれ――ひとつあたり約32.6 平方センチメートルだけ、「正面」を補強し、そうすることによって自らを正面化する。内山は《π》において、観光テープという素材から、長さではなく、面積の要素を抽出したが、その題名が示唆するとおり、内山の関心は、とりわけ円の面積に向けられていたのであり、内山にとって「π」は、円の面積と半径の平方との関係における比例定数なのである。

 また、《π》は「It’s growing up」の単位に他ならないが、それ自体もまた、その内に別の単位を有している。つまり、ちょうど「一周」ごとに切断したテープを積層することで造形した「本体」は、テープの「厚さ」に相当する微小な「高さ」と「円周」の積を積分することで、全体として台形を成しているのである。このような解析学的なまなざしは、内山のドローイングにも反映されている。そこには彼の制作に通底するいくつかの概念がベン図を用いて記されているのだが、「painting」「technology」「body」3つの領域が重なりあい、work という言葉を中心化しているのは、それがいずれの観念系にも共通する要素であるというよりも、それぞれとの関連において work という言葉を異なる意味に展開しているようである。つまり、「body」における work は、労働あるいは作業の意であり、「technology」における work は、道具あるいは材料、そして「painting」における work は、作品を意味すると考えられる。そして、いみじくも「technology」の領域には、たしかに「3D printer」の記載が確認できるのである。

 そもそも、内山の制作において――とりわけ、単色であることにおいて――作品の単位と作品全体とは全く同質であり、「It’s growing up」は、いわば一個の巨大な観光テープであると言って好い。同心円状の模様を破棄してしまえば、作品のパターンは、ただ一通りに定まり、「別様でもありえた」可能性は排除される。もちろん、作者は、他ならぬ白を選んだのであり、別の色でもありえたのだから、単色の作品であっても「別様でもありえた」可能性は十分に残されている。実際、内山は、かつて赤や緑などのテープを用いて単色の作品を制作したことがあるし、養生テープやガムテープのみを用いた同様の作品を発表したこともある。ただし、白については、数ある色のひとつというよりも、むしろ無色であると言うべきである。純粋に還元主義的な内山の論理に則れば、色を捨象し、確率的な位相を消去することによって、彼の作品における創発性は、自ずと否定されるからである。無色の材料を採れば、作者は色を選択することさえも免れるのである。もしくは、観光テープが――キャプションには「紙テープ」と記されているし――いかにも、そこに何かが書き込まれるべき「余白」であるような無色の紙であることが必要だったのならば、白でなければならなかったとも言える。作品が白一色であることが、色の差異によって意識されなかった表面の凹凸こそを顕現させた点で、いわゆる「起伏と陰翳」を特徴づけたのであれば、作品全体を「表層」という観念と強く結びつけることを意図したのだろう。

 内山が二次元の平面に拘るのも、彼の制作が他ならぬ「絵画」にかかわっているからに違いない。もうひとつの代表的な連作である「injected painting」は、私たちが「プチプチ」として親しんでいる――キャプションには「バブルラップ」という名称が採られている――気泡緩衝材に絵具を注入した作品だが、観光テープにせよ「プチプチ」にせよ、絵画の支持体として一般的でない材料を用いて、任意の大きさの「絵画」を制作するのは、「絵画作品の前提をフォーカスダウンさせる」という目的に適っていた。ただし、彼の成果は、単に、絵画の伝統的な形式が所与の規格をもつ支持体に依存していることに対するメタ的な批判にとどまっていない。かつての「injected painting」が、さまざまな色を、ほぼ等間隔に置くことで、一定のパターンを見せていたように、また、内山自身「一般的には絵画の美しさをつくる情報の一部であります」と言及しているとおり、色は、それ自体ではかたちをもたないながらも、全体として形象に寄与する、いわば「質料」であり、あるいは、絵画という形式が本性的に依拠している創発性の「元素」でもあるが、今作では、白一色で、しかも、すべての気泡に絵具を注入してしまったため、ただ単調な――そして、あまりにも殊勝な――作業が想起されるのみである。そうして内山は、作品の主要な部分を「作家自体の身体行為」に帰着させることで、絵画の審級を、出来事の場処としての表層から脱臼させ、まさしく作者の「手」に奪還したのである。

 

 

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内山聡 個展「working works」
Gallery OUT of PLACE TOKIO
2016年9月2日-10月2日
http://www.outofplace.jp/tokio/