名倉聡美 個展「約束」

 

【前期】「流蜜」2015年 9月5日 – 12日 ※予約制

【後期】「廃巣」2015年 9月13日 – 20日

 

22:00画廊(東京都小平市小川町1-776−18)

 

トークイベント

① 9月17日 ゲスト:副田一穂 氏(愛知県美術館 学芸員)

② 9月19日 ゲスト:黒嵜 想 氏

 

 

破滅を運命づけられた二人の人間存在に、あたかも永遠の息吹のように情熱が吹き寄せるその瞬間は、同時に二人が人生と自分自身について、つぎつぎと新たな発見と認識を重ねていく瞬間でもあった。

 

 パステルナークの傑作『ドクトル・ジバゴ』は、その序盤、「死すべき者たる人間同士のまじわりは不死であり、生は意味あるものであるがゆえに象徴的である」と語る――作家が自己を託すに足る、憐れにも不理解に貶められる――神父の台詞と、命からがらラーラのもとにたどりついたジバゴが健康を取り戻す箇所とで、革命というに翻弄される二人の「愛」の物語を収容すべき作品全体の形式を規定している――いわば「枠構造」を成している――と言える。このエピグラフを緒言に語りたいのは――あるいは、それを語るための方法であるのは――形而上学ではなく、およそ「ロマン」としか呼ぶことのできない、きわめて限定的な「人間」の営為、すなわち「愛」についてである。

 名倉聡美は、いつも「愛」について語る。鋭敏な心の持ち主である彼女は、自ずと目や耳に届く些細なニュースに触れては憂い、ふさぎこんだ表情を見せることが多い。とりわけ、人が人を殺すことについて――そして、それが実際に起こっている、あるいは起ころうとしているということを、多くの者が無視している現況に――胸を痛めている。ただし彼女は、使のように、未来に背を向け、あらゆるを見守ろうとしているのではないことは、名倉が占い師でもあることを知れば容易に理解されるだろう。彼女はさまざまな占いの理論に精通し、人間関係などを鑑定するほか、独自のカードを制作しており、私たちが愛する者たちと如何なる未来を導くべきか、指し示そうとしている。名倉の双眸は、どの瞬間においても、屹と未来を見据えているのである。

 ところで、名倉は尋常でない速さで作品を生み出す。それは単に1枚の絵画を完成させるのに要する時間が短いことだけでなく、作品を大量に制作することからも知られる。彼女は「両手で描くから」とうそぶくが、さながら二刀流よろしく両手に絵筆を握り、鬼気迫る剣幕でキャンバスに対峙する画家の姿が目に浮かぶ。かつてSNSには毎日のように「〇〇を描きました」というコメントつきで作品の画像がアップロードされた――もうひとつ名倉の絵画について特筆すべきは、タイトルである。それらはきわめて恣意的であるとも言え、「星が落ちる砂漠のサーキット」とか「ナポレオンフィッシュ」とか、必ずしも私たちはその認識を共有することができないのだが、あらかじめ作品の完成を構想せず、気の赴くままに筆を進める彼女のまなざしは、また特異な焦点をもっているようである。

 名倉にとって絵画とは、画面にイメージが浮かび上がる瞬間、それに「名を与える」ことによって完成するのであり、何かを描くというより、むしろ、まっ白なキャンバスからモチーフを発見するための「場処」なのだろう。双手の絵筆をふるい、タブローの上にを払いさったあかつきには、――過去の遺物を発掘するのとは真逆の位相において――まさしく未来の風景が広がっているに違いない。

 また、彼女が驚嘆すべき速度と熱意とで作品を生み出すのは、明確な展望があるからに他ならない。名倉曰く、人類の未来は、イギリスにおける産業革命以来の巨大なパラダイムを脱し、真のヒューマニズムの時代に移行するらしい。「人間」が歴史を超越すべき永遠の存在であるならば、それは――「非人間的なもの」に対する抵抗を試みた哲学者 ジャン=フランソワ・リオタールと同じ位相において、と言いたいのだが――「星の死」を乗り越えるテクノロジーやシステムの追求によってではなく、「愛」についての思考ゆえにであるに違いない。すくなくとも、今日の美術界に瀰漫する形式主義あるいは方法主義に依拠した前衛を排し、表現主義的なものを再生させるのでなければ、確率――あるいは、熱力学的に運命づけられた将来――を超えて世界と干渉することは不可能である。

 名倉は、より良質のイメージを求め、関西に移住するという。真の表現主義を掲げる画家にとって、東京は良い場処ではないらしい。今回の個展は、――いわば、東京に遺される私たちが――作者の不在に際して如何に作品を語り得るかを問う機会でもある。武蔵野美術大学において名倉の担当教員であった袴田京太朗氏は、――名倉自身は「乱痴気」と呼ぶ――彼女の制作する様子を「巣の中心で本能のままに卵を産み続ける女王蜂」に喩えた。その言葉に準え、名倉が滞在し、占いや制作を行う会期前半を「流蜜」、名倉が去ったあとの会期後半を「廃巣」と名付けた。過去のグループ展などにおいて、名倉の作品を「表現主義的だ」などと言って打ち見に去っていく者が少なくなかった。たしかに、その認識は正しく、あるいは――いわば、作家の手を離れ――白い壁にかけられたタブローには、歴史という時間が圧しかかっているのだろう。しかし、画面に相対したとき、それを概念によって把握してしまうのは容易だが、画家がキャンバスと対峙するのと同じ時間に立ち返り、一つひとつの筆触が、なぜそこに接しなければならなかったのかを思考するのでなければ、作品を媒質として画家と対話することは叶わないだろう。私たちは、来たるべき革命を加速させるために、この部屋から始めよう――。

 

2015年9月

 

 

※ ボリス・パステルナーク[著]江川卓[訳]『ドクトル・ジバゴ』第Ⅱ部(時事通信社、1980年)238頁

 

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鈴木総平さんによるレビュー
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