キュンチョメと〈閾〉――比較文学的トポロジー

 昨年度におけるキュンチョメの一連の展示を貫通するのは、〈門〉というトポロジーではないだろうか。ここでいう〈門〉とは、内と外を隔てるであると同時に、その境界を越えるためにかれているか、あるいは、逆にざされている装置を言う。
 「re: 侵入者」の会場であるビル4階の部屋は、非常に〈敷居が高い〉空間だった。というのは、単に、中に入るために瓦礫を踏み越えていかなければならなかったからである。そもそも、入場を促すようなサインは設置されていなかったため、そこが入っても構わない場所なのか分からず困惑した訪問者も少なくなかっただろう。もしかすると「立入禁止」である場所に侵入してしまうことになるかもしれない、という少なからぬ罪悪感を伴いながら、私は〈キュンチョメ〉と出会った。その扉に「『ここではないどこか』冷えてます」というメッセージが記された――これも、本当に開けてしまって構わないものか躊躇われる――冷蔵庫を開けると、中には花輪が取り付けられた如来像が祀られていた。さしづめ御開帳して秘仏に出会ったような気分で悦に入っていると「ピー」というアラームが鳴ってしまい――冷蔵庫なのだから当然だが――胆を冷やした。鑑賞者に、ある種の――すこし勇気をふりしぼらせて――参与を課すような仕掛けは、閉ざされた場所への越境を奨励すると同時に、その実現が容易でないことを示しているように思われた。
 赤く照らされた浴室では、これも赤く染められた稲の穂が頭を垂れていた。藁に蓋われた浴槽は、強い魔力のようなものをもった某が――無論、放射能を思い起こす者が少なくなかっただろう――その中から洩れ出してくるような、あるいは、その中に隠されているような、グロテスクな印象を与えた。向かい側のトイレには、これもまた、赤い、はっきりとした大きな文字で「キュンチョメ」と記されていた。名前を朱色で書くことは死を連想させるかもしれないが、これらの赤は、けっして死とのみ結びつけられた色ではない。この力強い署名と、浴室やトイレなどの水が噴出する場所の引用は、罪や穢れを清め、復活や再生を実現させる〈後戸〉的な空間を召喚するための呪文であるように思われる。キュンチョメは、心理的なハードルを宗教的なタブーに換喩し、その両方を二重の下敷きとすることで、生と死を表裏一体に重ね合わせ、展示会場を聖別することに成功していたと言える。実際に――それは驚くべき身軽さであるが――被災地に足を運び、単なる作品のための取材とは言えないような、いくつかのパフォーマンスを行なったが、彼らの用意したトポロジーとは、自らを「侵入者」と自称し「立入禁止」を踏み越えていく映像を相対化するだけでなく、それを見ようとする私たち鑑賞者も「侵入者」とならざるを得ないような〈系〉を設定することだったのである。

 閾と、その越境を志向したモチーフは、同様に、ナオナカムラにおける個展にも認められた。会場に一歩足を踏み入れた瞬間、私たちの足元をすくうのは、床に敷き詰められた――日本人1人が1年あたりに消費する量であるという60kgの――米。私は、すぐに、あの浴室で繁茂していた、まっ赤な稲穂を想起した。赤に染められた米は――やはり放射能に汚染されていることのアナロジーかもしれないが――本来の食べられる目的ではなく、人の足によって踏まれるために床を覆っているのである。ここでは、「食べ物を粗末にしてはならない」とか「お米は一粒残さず食べなさい」などといった道徳の禁止を超越することと、あの日、突然に措定された「立入禁止」という閾を踏み越えることとが結びつけられているのだろう。
 さしあたり、この入口の米が「1人」分であったことに注目したい。鑑賞者は入場する前に芳名帳へ署名させられたのだが、これは出口に用意される手紙を、各々の名に宛てるためだった。この鑑賞者1人ひとりのための手紙を渡されたとき、「この門は、おまえひとりのためのものだった」という、あのカフカの短編における、なんともミステリアスな台詞が思い出された。キュンチョメにおける〈門〉というトポロジーが、「ひとりのための」空間を指示するものであると考えるならば、彼らが提示しうる問題は、きわめて個人的な、あるいは内面的な位相に属するだろう。指紋の採集や「遠吠え」は、二つの意味で供養である。つまり、震災で犠牲にった人びとに対する追悼の念が込められているのは言うまでもないが、今こうして生き残っている私たち自身に対する供養でもあるのだ。無力感や罪悪感を抱きながら、あるいは一方で「反原発」などのアクティビズムを冷ややかに見るなど、私たちは「震災」に対する態度を決めあぐねている。もしキュンチョメの作品について、私たちが自ら当事者として越境に取り組むことを称揚している、などと理解するのは全く誤りである。彼らは、むしろ、その困難をこそ提示しているのである。「地域のなかで生きざるを得ない」人びとと同様に――と言うより、その一部に他ならない――私たちもまた、閾を踏み越えることはできない。そして、この隔絶は、けっして時間によって埋められるような種のものではない。むしろ心理的な――そして致命的な――〈外側〉に身を置き、あくまでも「媒介的」な立場に甘んじながら越境になずむという、なんとも比較文学的なフラストレーションに苛まれつづけるのである。

 カフカの「法の門前」におけるトポロジーから、それに続く岡本太郎賞受賞作品《まっかにながれる》を読み解いてみたい。デリダは、このテクストについて、表題の「法の門前Vor dem Gesetz」は――「フィクションの外とは言わぬまでも」――テクストのに位置する一方、冒頭に登場する同じ言葉に対しては、やはりテクストのにありながら、その中にあることを確認した。キュンチョメの作品は、このテクストとタイトルの関係を包含しているようでありながら、実は、最初から――おそらく彼らの意図が及ぶ前から――むしろ差異をこそ強調している。つまり、作品の前に置かれた米袋は「立入禁止のその先へ」と誘導するサインであるものの、「立入禁止のその先」というトポスは、この作品自体のことを示しているのではないし、そもそも、作品のタイトルは、一見、如何なる関連も持たないように思われる童謡の一節から引用されている。キュンチョメは、会期の直前まで題名に悩んでいたというが、ついにこの作品の表題に「立入禁止のその先へ」を採らなかったし、私たちは、展示ブースの外に置かれた米袋を――単に、公募展の定める規格に従って――作品の一部ではないと見なすべきなのである。いずれの視点からも回避されたデリダによる解釈との同一化は、〈法〉――〈門〉というトポスに置換された主題――を捉えるための異なる位相を示しているに違いない。
 閾が取り除かれ、張りめぐらされた――本来ならば入場を拒む――規制線は、ゲートのように模られることで、むしろ入場を促していた。私たちの入場を阻む門番はいない――「男」と同様に〈法〉を前にした我々は、「男」とは異なり〈法〉の中へと足を踏み入れる。カフカの「門」とはまるで異質なキュンチョメの〈門〉は、ここに現前する〈法〉が、デリダの論じる――「~しなければならない」とか「~してはならない」などと命ずる――「掟」とは別種のものであることを示している。キュンチョメが米を用い、それを観客に踏ませたのは、一連の作品で彼らの示そうとしたものが、定言命法で指示される道徳ではなく、むしろ倫理だったからではないだろうか。後ろめたい感情と、それを踏み越えようとする意志とのあいだに葛藤するアンビバレントな状態を、確実に私たちの内面に生じさせる。そして、日の丸に見えるように米を模ったのは、超越されるべきイデオロギーを私たちに連想させるためのプレグナンツである――と言うより、プレグナンツに過ぎない。この記号的な対応にパフォーマティブな意味をもたせるのは、米以外になかっただろう。震災以後、私たちは如何に行動すべきか――その差し迫った問いに回答することは難しい。むしろ、キュンチョメは、私たちが答えを出す必要など無いと宣言しているようである――その意味で、彼らの作品は、やはり比較文学的なのである。判断を下すことを躊躇し、ひとつのことに拘泥しながら悩み続けることこそが倫理に他ならないのだから。小林康夫は、カフカにおける「門」というトポスを「法に辿り着くことを限りなく延期される遅延の場処」と定めた。キュンチョメの〈門〉とは、まさにこの〈法〉――あるいは、ここでは答えと言い換えてもよい――に到達することを急がないための論理だったのではないだろうか。

 

 

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TRANS ARTS TOKYO 2013「re: 侵入者」
篠木ビル4階
2013年10月19日-11月10日
http://2013.kanda-tat.com/shinoki_kyunchome

 

個展「ここではないどこか」
ナオナカムラ(素人の乱12号店)
2013年11月20日-25日
http://naonakamura.blogspot.jp/2013/11/blog-post.html

 

第17回 岡本太郎現代芸術賞展
川崎市岡本太郎美術館
2014年2月8日-4月6日
http://www.taro-okamoto.or.jp/taroaward.html